Mar 25, 2011
熱
久しぶりに高い熱が出た。
なんだか喉が痛くて嫌な予感がするなと思っていたら、案の定。
夜、冬布団に毛布を2枚重ね、
私自身もスエットにフリース、靴下を着こみ、
さらに湯たんぽを入れてようやくほっとした。
そんな時も、娘はきっちり数時間おきに起きるのだけど・・・
体が正に戦っている!という感じがした。
体の芯が燃えてるぞ!と。こんなの久しぶりだ。
変な夢を見た。
翌朝には平熱に戻り、食欲もある。丈夫な体に感謝。
Mar 23, 2011
守ること
地震が起こって、もう10日以上。
毎日テレビを通じて目にする被災地の様子に胸が締めつけられます。
どうしても小さな子を持つ親として、
子供を亡くした親御さんや、
避難所でつらい思いをしている赤ちゃん、お母さんの事を想います。
なにかしなければという気持ちと、でも大きなことはなにもできないという事実。
今できることと言えば、募金をすること、
無駄なエネルギーや物を使わないことしかないのでしょうか。
母親としても葛藤する日が続いています。
特に原発に関してはいろいろな情報が入ってきます。
たぶんどの情報が真実らしいのか、頭では理解しているのです。
自分の身を守るだけなら、
状況を注視しつつ普通の生活を送ろうと、きっと納得できたと思います。
しかし娘を守るという時、感情がどうしてもそれを許さない。
子を持つ親が、子供を守りたいという思いに過剰、過敏などということがあるのでしょうか。
自分だけが良ければよい…というのは確かに間違っています。
しかし、政府が中途半端な情報開示や規制で不安を煽った上で、
その後、様々な専門家が数値や数式を示して「大丈夫!心配するな!過剰反応するな!」と説得する妙な現象。
全力で守らなければならない誰かがいる時、
一度植えつけられた不安を拭い去るのは本当に難しい。
誰も、そこに行列があるから並んでいるという訳ではないし、
自分を守る為だけに動いている人なんて、今の日本にはきっとほとんどいないと思うのです。
自分の大切な人を守りたい、きっとそれだけのこと。
なにが母親として賢い判断なのか。
どの決断が最も子供のためになり、同時に人のためになるのか。
地震が起こる前に想像していたものとは違っても、
誰もが静かに穏やかに暮らせる日が来て欲しい。
本当に、本当にそう願っています。
Mar 11, 2011
本棚とラジオの春
ふと本棚に目をやると、
重なった背表紙が春色。
(全て別々の出版元で、我ながら平等だ!と感心。)
家の近所には桜のすばらしい公園と並木道がある。
去年の春は大きなお腹を抱えて眺めたものだ。
駅から歩いていると、早咲きの桜が八分咲き。
「ああ、春だ」と思う。
すると通りがかったひなびた商店から、ひなびたラジオが聞こえ、
「それでは、瀬川英子の桜雨〜」とそのラジオが言った。
無意識に、そこかしこに春。
オバQになった娘。
Mar 9, 2011
いろいろなこと
いろいろなことがあります。
毎日、毎日、小さなことが積み重なって。
それなのに、
「最近どうしてた?」
と聞かれると、
出てくる言葉は
「うーん、子育て。」
それではいかんと思い、
手帳を新調してから、日々一言メモのようなものを書いている。
ほとんど走り書き、9割娘のこと。それでも読み返すと、そうかそうかと思い出す。
毎日は同じようで同じじゃない。
夫の実家、富山に行った。
どこにいても見える雪山の、それはそれはでっかいこと!
これは同じ山でも奈良のそれとは性格が違う。
雪、雪。雪合戦をする小学生。制服にブーツの女子高生。
大型のスーパーやホームセンターが幅を利かせているのはどこの田舎も同じか。
おじいちゃんがひ孫に見せた、私の見たことのない顔。
優しいおばあちゃん。
湿って、少し春めいた空気の中、冬が忘れていったみたいな雪。
Mar 4, 2011
初節句
初節句は同じ歳の小さなむすめさんが3人集合し、
女だらけ(とお父さん×2)のひな祭りだった。
美味しいちらし寿司とはまぐりの潮汁をごちそうになる。
少し前まではごろんごろんしてただけの赤ちゃん達が、
一人は高速ハイハイを披露し、
もう一人くるりんと寝返りをしてきゃっきゃっと笑う。
うちの娘もおしりをすりすりした不思議なポーズで移動する。
おもちゃを取り合ったり、お互いの顔を危なっかしく触り合ったり。
すごいなあ。
うちの両親が孫娘に贈ってくれた一刀彫の雛壇。
自分の雛祭りの時は、その楽しさやありがた味をあまり感じなかったけれど、
娘のために飾り付ける時の嬉しさといったら。
「この人は右、この子はもう少し左・・・」と、
2月の吉日、さながらお人形遊びのように楽しんだ。
勢揃いした15人を眺めるとなんだか少し感動的でもあって。
不思議だなあと思う。
Mar 2, 2011
からくりからくさ
「からくりからくさ」という梨木香歩作の本を読んだ。
染色や織物を志す3人と外国人の女の子、4人の共同生活。
途中、それこそ複雑な織物や唐草模様みたいに、
あっちへ繋がりこっちへ伸び、
いったいどこがどうなっているか分からないぞ!という風な、
複雑な人間模様になってくる。なんだか推理小説のような。
だけど、読み終わった後に心に響いたのは、
そんなミステリアスな部分ではなくて、
もっと素朴で根源的な、女の性や宿命についての言葉たち。
「西の魔女が死んだ」を読んだ後の爽やかで、
せつないけれど溌剌とした感じ。(あれ、矛盾してるかな。)
あれとはずっと異質。激しい。
それは私が結婚して、子供を産んだからかもしれないし、
祖母が亡くなったからかもしれない。
どうしてだか、
最近見た映画や小説の中で、母親たちは皆、闇が深い。
ただそこから放たれるパワーというか、
ほとんど表裏一体、ものすごくマイナスでもあってプラスでもある力が凄い。
それも表向きは淡々と、静寂。
機織を静かなリズムで織る女たちの話に本当に感動した。
脈々と繋がっていく家系図。風習。
ひとりでいる間は気づかない。自分まで伸びてきているその線の複雑さと強さ。
そういうことが不自由に思う時もそりゃあ多々あるけれど、
「さて、繋がっていくことの凄さを思い知れ。」と言われた気がする。
Mar 1, 2011
動揺
今読んでいる小説。
半ばまでは、染色をしている女の子達の共同生活を描いた、ゆったりとしたお話。
花や木の名前がたくさん出てきて、
つい心にその初めて聞く名前を留めておきたくなるような。
ところが。
途中からミステリーというか推理小説のような方向へと急展開し、
小さく動揺した今朝、6時前。
しかしページをめくる手はとめられない。
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