Feb 23, 2011

春、春



私のとってもお気に入り、
きりのなかのハリネズミのハリネズミ君のぬいぐるみと、娘の出会い。




先日、同じくらいの月齢の赤ちゃんを持つママさん達で、久しぶりに集まった。
3人のママさん、3人の赤ちゃん。
お店に入る時に「6名様で?」と聞かれてぷぷぷっと思う。小さな3名様!
大きさも表情もしぐさも3種3様。
ハイハイをする子、寝返りがえりで部屋中を移動する子、
そして不思議な動きでもぞもぞ移動するうちの娘。
夜泣きのこと、離乳食のこと、病気のこと、母乳での苦労などなど・・・
あれもこれもそれも、話せばきりがない程の「へ〜」と「わかるわかる!」。
大変なことの話をしても何かが変わるわけでもないけれど、
共感する、それだけで本当に救われるのよね。とママさんたちで大きく頷き合った。

赤ちゃん達、みんな可愛くてみんな可笑しくって。楽しい。




小さなこどもがいると、外出しずらくなるのは当然のこと。
特に私の周りはバリバリ仕事をしている友人がほとんどだから、
なかなかゆっくり会ってお茶でもして・・・ということが出来なくて、
時々さみしくてうわーんとなったりもする。

でもこどもが居てはじめて見えてくる世界もあるし、
こどもを通じて知り合う人もたくさんいて、
その新しいドア、というか窓というか、
そちらも楽しんでどんどん開けていこう。

それに友というのは恋人と違って、
ブランクが仲を壊すことなんてないのだから。

Feb 19, 2011

雪の日






奈良の盆地に生まれ・・・とは既に言いましたが。

海を見れば興奮し、
雪を見てもウキウキし、
山を見ると安心すれば、
鹿を見ると旧友に会ったように暖かい気持ちになる。

なかなか良いじゃないかと思う。

小さな怒りの矛先

私はたぶん、
絵をかくことと同じか、それ以上に、
文章を考えることが好きだ。
だけど、
口に出して話す言葉については、
全く、これっぽっちも自信がない。
反射神経が鈍いのか、
性格がダメなのか。
頭の中に溢れてる言葉は、
喉元で形も音も失って、
結局なにも意味をなさない。

ただ、
時間をかけて考えることは、間違いなく好きなのだ。
それについて、
自己満足だと言われようが、
無駄な特技だと思われようが、
譲るつもりはない。
紙に書くことでしか真意が伝わらないのなら、
毎日でも手紙を書こう。
ただ、時間がいるだけだ。

Feb 18, 2011


春が近づいてるな。

雨は嫌いだけど、
久しぶりに降ったザーザーの雨は気持ちいい。
なにもかもしっとりしていて、
娘の髪も心なしかぺったりして。

そしてそれに続く風。
びゅーびゅーと木々を揺すって、
ときどき、バン!と窓を叩く。

奈良の平和な盆地で育ったので、
昔から台風みたいな、とてつもない風にわくわくする。

横断歩道を順風に押されながら歩きつつ、
なんだかひとりにんまりした朝だった。

Feb 17, 2011

捨てるものと捨てられないもの



私はどちらかと言えばなんでもぽいぽい捨てる。
たくさんものがあるのがいや。
冷蔵庫の中にあるのはもっときらい。
机の上にある細々したものも、
デスクトップがファイルだらけなのもむずむずする。
着る?着ない?の服は大抵迷わずぞうきんにするし、
氷まみれの年代物の冷凍食品は、(食べられるか試行錯誤の上)やっぱり捨てる。

でも、どうしても捨てられない種類のものがある。

ひとつは印刷物。
本、ポストカード、素敵なDMやチラシ、包装紙、なんだかよくわからない紙。

もうひとつは人からもらったもの。
CcではなくToのかたちで戴いたものだ。
高校生の頃に友達と回した手紙や、弟が海外旅行で買ってきた絵はがき、
プレゼントと一緒に入っていた小さなメモ、机の上に置いてあった置き手紙にいたるまで。

最近、さらにもうひとつ、捨てられないもの群が増えた。
娘にまつわるものである。
カリカリに渇いてとれたおへそ、
生まれてすぐ足にしていた名札、
小さくなってよれよれのびのびの肌着。
これから髪を切ることがあれば、それもきっと大事にしまっておくだろう。

ものすごい勢いで、捨てられないものボックスが埋まりそうだ。

Feb 8, 2011

ブリキの音符




「ブリキの音符」を閉じた後、
自分の中にたぷたぷと水が溢れていて、
まるで全て繋がっているような気分になった。

このお話、(というか、詩集はというか)
読みながら妙に納得する。
そうかそうか、そうだったのかと、
心の仕組みについての教科書を読んだようだ。

その中で、
人も水滴であるというようなお話があって、
涙が出る時は、ただ身体の中の水がちょっとこぼれるだけだ、と言う。

なるほど。
妙に納得した。

Feb 6, 2011

心に栄養を


離乳食がはじまってしばらく経ちますが、
最近はもう、「大人の食事のトロトロ薄味版」という感じのものを娘は食べています。
もうちゃんと主菜、副菜を用意して、
しっかり食事からも栄養を採らなければいけないそう。
食べることに慣れるための第一歩と今までは捉えていたけれど、
この子もちゃんと食事をしているんだ!と、少し考え方を変えなければ。
大変だけれど、パクパク、奇声をあげて興奮気味に食べる姿は、
可笑しく愛しいものです。



この1ヶ月はいくつか展示を見に行った。
ユーリノルシュテインのアニメーションを見に足利へ、
琳派、カンディンスキーを見に日比谷まで。
娘はあっちへこっちへ連れて行かれ大変だっただろうけれど、
お母さんはそれはそれは楽しんだ。
ユーリノルシュテインは感動的に楽しかったし、未完の「外套」に息を呑んだ。
琳派は意外や意外、俵屋宗達の水墨画に心を奪われる。
画と書の重なり。配置、配色。今で言うデザイナーでしょうか。なんでしょうか。
(なにせ知識がないものであやふやです。)
意識せずとも自分は日本人だったんだと。
誰しも作るもの、好きなもの、必ず過去からの繋がりがある訳だ。

もっと真剣に日本史の授業を聞いておけば!!!
学生時代の机に突っ伏して寝ている自分を叩き起こしてやりたい。